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観光 | 遺跡・寺 | 大理石寺院
   
   
大理石寺院
●寺院の入場時間 
  8:00~18:00 無休
※本堂内の入場時間 平日 8:00~17:00
入場料無料
●アクセス
  路線バス72番、201番またはエアコン付き大型バス(ポーオー)503番
ラマ5世騎馬像もしくはチッラダー宮殿が見えたら下車
   


大理石寺院
大理石寺院(ワット・ベンチャマボーピットドゥシットワナーラーム)は運河の岸にあり、もとは「ワット・レーム」又は「ワットサイトーン」と呼ばれていました。いつ建てられたかは明確ではありませんが、ラーマ3世時代の西暦1829年、ベトナム軍からの攻撃に際し、ラーマ3世はピピット・ポークプーベ親王とラーマ1世のパナーパン親王のパナーパン側室とシラー側室を、首都警備及び「ワット・レーム」建造の部隊長に任命されたといわれています。
攻撃軍の制圧後、ピピット・ポークプーベーン親王は「ワット・レーム」を修理しようと考え、側室も含め年下の異母兄弟達の賛同を得ました。ラーマ5世時代に、ピタックテーウェート親王とルアングプオネートロンリンサリット親王とインタニン親王と側室、そしてインウォン側室が力を合わせ「ワット・レーム」を修理し、ラーマ5世が「ラーマ5世の寺」を意味する「ワット・ベンチャマボーピット」と名づけられました。
西暦1898年ラーマ5世は、ドゥシット寺院を王族の休憩場所とし、寺院の場所に道をつくりドゥシット庭園を造るよう指示されます。タイの習慣では壊した寺の代わりに新しい寺を作らねばなりませんが、ラーマ5世は次のように話され「ワット・ベンチャマボーピット」を広げる建設を決めます。「新しい寺を作れば維持と手入れが大変です。寺建設費用を1つにまとめて大きく立派な寺をつくりましょう。」 ラーマ5世は、ヤーンリッサラーヌワッティウォン親王に本堂とその他施設の建設設計者として、プラヤーラーチャソンクラームに建設技師の任命を下されました。西暦1899年に寺建設を開始し「ワット・ベンチャマボーピット」を広げてつくった新しい寺は「ワット・ベンチャマボーピットドゥシットワナーラーム」と名づけたのです。大理石寺院に来たら必ず見てほしいところです。
 

本堂
イタリアから取り寄せた純白の大理石を使用してつくられた本堂で、大理石装飾の設計はイタリア人の技術者と建築家が参加した共同作業によるものです。
  本堂の中の本尊は、ピッサヌローク県の寺ワット・プラシー・ラタナマハタートにあるプラプッタ・チンナラートという仏陀像を、ラーマ5世が最も腕のいい王族の鋳物作り職人に模造させたもので、西暦1901年に5番目の王の本尊として台座に安置されました。
 

回廊
回廊はラーマ5世とナリス王子により設計され、寺院の本堂前の南北から後ろの方まで取り囲んでいますが、中庭の日が落ちる方向には扉が付いています。寺院には南北2箇所に門があり、扉の外側には回廊の外側と同じラーイロットナーム法で作った絵を施した浮彫りの金属板が貼られているものもあります。
回廊の内側には、ライロットナーム法の輝く絵が敷きつめられ、天井には朱地に610の金色の星細工が施されています。台座の上にある52体の仏像は、バンコク内や他の主要都市、インド、日本、ビルマ、スリランカなどから集めてきたもので、これらのなかには貴重な仏像も含まれています。
 

小さな運河と橋
僧侶が生活できるように、寺院建設開始とともに運河を掘りはじめ、掘った土は建設対象である従来の寺院に付け足す部分で地盤の低いエリアにあてました。この小川はドゥシット地区と繋がるよう掘られ、当時は水源として畑や水田や人々の消費生活を支え、人々から愛された平和な街の運河でした。ラーマ5世は、水の流れをよくするため、ジャンステープ親王に運河の両側の土手に堤防を建設して樹木を植え、棒を埋めてツルを這わせ、両側に花模様の鋳物を敷くよう命じられました。この橋のたもとには中国人形が12個飾られています。
  イタリアに注文して鋳造でつくらせたこの橋は、1本あたり4トンの重さがあります。カーブしたコンクリート製路面が運河を横切り、両側の手すりにはタイの模様が施されています。そして各橋には「国王の命により土木省建設」と2箇所に刻印がされています。