タイラーメン・タイ料理を展開する「ティーヌン」「カオタイ」、エスニック総菜店「ティーヌン×アジアンマジック」、「バンコクデリ」他、インド料理店、ベトナム料理店など、各種エスニック料理店を展開する株式会社スパイスロードの代表取締役。「東洋食堂」というレストランを経営していた頃にタイ料理と出会う。トムヤムクンの味に衝撃を受け、平成4年12月、西早稲田にトムヤムラーメンの第1号店「ティーヌン」をオープンさせる。以来、続々と新店をオープンさせている。現在、「ティーヌン」ブランドの商品を開発中。
涌井 : タイレストランだけで24店舗構えています。今年は「ティーヌン」を錦糸町、飯田橋にオープンさせて、東京駅に「サイアムオーキッド」をオープンしました。10月には青山に出店する予定があります。今後、1年に4〜5店舗ずつ増やしていく計画を立てています。
涌井 : 僕はもともとコーヒー屋から始めたんです。その時によくカレーを作って出していたんですね。カレーを作っているうちに、カレーの原点ってなんなんだろう? って思ったらインドだった。インドこそカレーの原点だと考えてインドに行っていろいろ勉強したんです。それでインドから帰国して「東洋食堂」という、カレーを始めとしたアジア各国の料理を出す店を始めました。で、この店に常連でいらしていたお客様がタイ人の方と結婚することになりまして、「嫁が日本に来るからアルバイトをやらせてくれないか」と頼まれて、「いいですよ」と答えたんです。当時、すでに見よう見まねで中途半端なタイ料理を作って出していたんです。でも、そのタイ人の人がアルバイトで来てくれて本物のタイ料理を作ってくれたら自分が作っていたものとはあまりにも味が違うのにびっくりしてね。でもね、正直最初はパクチーもナンプラーもココナッツミルクもグリーンカレーも全部ダメ、あんまり好きじゃなかったんです。特にトムヤムクンなんて、あんな驚きの味は初めてですよ。ところが5回6回と食べている間にハマり込んでしまったわけです。ハマり込んだその延長でトムヤムラーメンを考えだしたんです。だから、僕がタイ料理にハマってタイ料理の店を出すことになったそもそものきっかけは、アルバイトだった女の子、今はタイ料理研究家として活躍している味澤ペンシーなんです。
涌井 : ええ、彼女はNHKの番組に出たり、いろいろテレビでも活躍していますからね。彼女はもう日本に来て14年くらいになりますね。
涌井 : いや、「東洋食堂」をやりながら、とにかくトムヤムラーメンの店をやってみたいと思い立って始めたのが早稲田の「ティーヌン」。もう、14年くらい前になりますかね。
涌井 : そうですね。当初はトムヤムラーメンはずいぶんとゲテモノ扱いされましたよ。そんなのラーメンじゃない、とか言われて。ただ、だんだんあの味を好きになる人が増えてきたんです。で、次に初めてタイ料理専門店の「カオタイ」というお店を出したんです。それからですね、勢いがついてきたのは。正直な話、店を増やそうとかそういうことはこの頃はまったく考えていなかった。ただ、自分が好きになって始めたトムヤムラーメンが、早稲田でたまたま支持してもらえたから、ぜひ他の地域の人にも食べてもらいたいなという発想でどんどんお店が増えていったんですよ。

涌井 : 僕は最初の頃はあまりタイ語がわからなかったので、「日本で一番最初にやるんだ!」という意味を込めて「ティーヌン」っていう名前にしたんです。でも、ティーヌン”っていう言葉は“一番”っていう意味だったみたいで、あとでいろんな人から「これじゃあ、一番ラーメンだよ」なんて言われましたけども(笑)。まあ、どちらでもいいですけども。
涌井 : あれはね、早稲田の「ティーヌン」の学生のお客様にデザイナーの卵がいてね。それで店長が、「なんかやってくれない?」って頼んだら、ラーメンを持ったムエタイのあのキャラクターを描いてくれたんです。デザイン料はなしですよ(笑)。多くの人がタイに抱くイメージはムエタイですし、親しみやすいし、これは成功だったと思いますよ。
涌井 : もちろん何回か足を運びましたよ。でも、本当に最初の方はタイに行く暇はなかったですけどね。なので最初は国内にいる私どものお店のコックさんに、誰かいいコックさんいない? という風にコックさんを探していました。最近は必ずタイに行ってテストをしてから日本に連れてくるようにしています。それをより確実にするために、タイ現地にお店を作りたいと考えているんですけどね。やっぱり料理の味のレベルをきちんと維持するのは本当に大変なことで。一番いいのはコックさんがあまり変わらないことですから、現地で雇ったコックさんを日本の支店に呼ぶというシステムにできればいいんですが…。でも、いろいろ大変な部分もありますよ。技術はいいんだけど、性格に問題があるとか。タイから来てお金ができると遊んじゃって仕事しなくなる人もいるんで…。女性の方が一生懸命働いてくれるので、女性のコックさんの方がいいかなとも考えています。もちろん、男性でもいい人はいっぱいいますけどね。
涌井 : 最初の頃、僕はタイ語がほとんどできなかったけど、意思の疎通はなんとか通じるものがあったんで、特にコミュニケーションの部分で特に困ることはなかったかな。ただ、食材の仕入れの部分はいろいろ大変でしたよ。タイ料理をたくさんの人に食べてもらいたいと思っても、当時、食材が高かったし、仕入れも大変だった。特にパッカナーや生のハーブ類は手に入れづらかった。今でこそパクチーは国内での栽培も増えてコンスタントに入るようになったけど、昔は本当に大変でね。昔はよく日本でタイレストランに行ってから空芯菜炒めを頼んだらちんげん菜が出て来たりしたからね。うちはそういうことはやりたくないと思って。そんな時にタイ食材販売の草分け的存在、アライドコーポレーションの先代社長にはものすごくお世話になりましたよ。「できるだけ安くしてください」っていうこちらの意図をよく理解してくれてね。アライドさんは大手スーパーなどに卸していている大会社で、当時、ウチなんかと取引してもらえるような規模ではなかったのに…。それなのに先代社長はちゃんと私の気持ちを理解してくれて「じゃあ、がんばってタイ料理を普及してください」って言ってくれたんです。それから本当にいろいろ力を貸してもらいました。ウチが今のような形になっているのは彼のおかげ。本当に。やっぱり自分ひとりの力では何もできないんですよ。今の形があるのはアライドコーポレーションの先代社長にいろいろ協力いただいたことと、味澤ペンシーの力のおかげですね。本当に、周りの人に何人協力してもらったことか。なので、そんなに苦労という苦労はないですよ。

涌井 : いやぁ、そうでもないですよ。全ての出店場所で成功するとは限らないからね。鳴りもの入りで出店して撤退したところもあるし。亀戸のステーションビルなんかは全然ダメだったよ。
涌井 : そうですね。わりかし保守的ですね。中にはトムヤムラーメンを好きになってくれる人もいたんだけど、ちょっと難しかった。ちょっと話が逸れますが、日本人の男性は味に対して保守的なんですよ。40歳過ぎると新しいチャレンジをしない。逆に女性は好奇心旺盛だから、酸っぱい辛い食べ物って好きじゃないですか。男はね、小さい頃に食べた母親の料理から成長しないんですよ(笑)。
涌井 : だからね、タイ料理などの新しいものにチャレンジする人は本当に少ない。「ティーヌン」銀座店なんかを見渡すと、80%は女性ですからね。
涌井 : あとね、僕がお店を始めたもうひとつのきっかけは、他のタイ料理屋さんがみんな高かったからなんですよ。僕が一番気をつけているのは適正価格で提供するということ。適正価格で売ればみなさんに喜んでもらえる。べらぼうに儲けようとは思わないし、そんなことをする必要はない。それよりもたくさんの人に食べてもらいたい。値段が安ければ食べる機会も増えるでしょ。値段が高いとなかなか食べに行けなくなってしまう。だからうちの店にはあんまり高い料理がないんです。
涌井 : 今、「ティーヌン」はフランチャイズ展開もしていますが、やはり直営をもっと増やしていきたいですね。「ティーヌン」に限らず「カオタイ」など他のお店も含めて、日本全国に100店舗くらいオープンしたいと思っています。新しいお店をオープンしていくことによって、タイ人コックさんの雇用にも繋がるし、食材を多く輸入することもできるし。タイと出会ってタイ料理を始めたおかげで今の自分がある。僕が少しでもタイのために貢献できることといえば、こういう形でタイ料理を広めていくことだけですからね。あとは、我々日本人が経営するタイ料理をぜひ海外へ広めていきたいなと考えているんです。今、いくつか話が出ていて、まずはロサンゼルスでやりたいなと。去年、ロスへ行く機会が会ったので、ロスのタイ料理はどんなもんかなと思って食べてみたんですけど、正直おいしくなかったですね。

涌井 : これはいけないなと思ってね。ロスに「ティーヌン」のファンがいて、ぜひ一緒に何かやろうという話が出ているんです。すぐに実現するかはわからないですけど、海外に我々日本人が手掛けるタイ料理があるっていうのは素晴らしいことじゃないですか。タイ料理だからタイ人だけがやるっていうんじゃなくて、いろんな形があってもいいと思うんです。だから、タイ現地にも「ティーヌン」をオープンさせたいと思ってるんです。ただ、純然たるタイ料理っていうのはちょっと難しいだろうから、和のエッセンスを取り入れるなどして日本の食文化も広げていきたいですね。それからアジア各国にもタイ料理の素晴らしさを広めていければなぁと。あとね、まだ確定していませんが、2年後くらいに六本木にタイレストランを出す予定もあります。防衛庁跡地に大きなビルができる予定なんですが、もしかしたらそこに。
涌井 : 本当に出店することになれば、大使館の人たちも利用できるような高級な感じというか洗練された雰囲気の店を考えています。これは実現したら本当にうれしいですね。よく、うちのタイ人スタッフから「社長、うちはタイ料理で一番大きい会社なのに、どうしてきちんとしたいいお店がないの? タイから偉い人が来たときに来れるようなお店がなんでないんですか?」って言われるんですね。タイ人スタッフにとっても六本木に高級なお店がオープンできればとても嬉しいんことなんです。このお店はスタッフ全員の願いでもあるので、ぜひ実現できるといいのですが。タイらしく伝統的な、でも飽きのこない雰囲気の中で本物の味を追求したいですね。それでいてめちゃめちゃ高い料理じゃなくて手頃な価格で。まぁ、「ティーヌン」並の価格は無理だとは思いますけどね。
涌井 : やっぱり最初は僕も扱い方がよくわからなかった。よく味澤から注意されたのは、「社長、店に入る時は必ずスマイルで入ってください」っていうこと。でも、そうは思ってもやっぱりいろいろあるから、たまには怖い顔をして店を見に行ったりもするじゃないですか。そうすると、「絶対にやめてください。サワディーカップって笑顔で来てください」ってよく怒られもんだよ。笑顔で来るだけでスタッフの気持ちが全然違うからって。だから常日頃気をつけるようにはしているけど、やっぱりマイペンライな人たちだからね…(苦笑)。たまに料理のソースが変わっていたりしても平気な時があるんで、そういう部分に一番苦労するかな。
涌井 : もちろん、すぐに直させますよ。お客さんはあの味が好きだったのに、食べに来て味が変わってたらもう来なくなっちゃうじゃないか、って。日本人はタイ料理の味なんてわからないからいいよっていうんじゃなくて、もう日本人でもタイ料理の味がわかる人がいっぱい増えてきているから、ちゃんと質を守ってもらいたい、と。ここをちゃんと理解してもらうのがなかなか難しい。サービス面なんかでは日本人よりいいですよ。さすが“微笑みの国”の人だからものすごく笑顔がいい。できれば政府にサービス業(ホールスタッフ)でビザを発給してもらいたいですよ。これはなんとか変えていただきたい。
涌井 : これから「ティーヌン」ブランドの商品をこれからどんどん展開していく予定なんです。今、ココナッツミルクやクイッティオ、それからトムヤムベースのドレッシングが商品化されています。あと、味澤が作っているガイヤーン、ガイガパオのレトルトが2種類。こういったものをどんどん増やしていきたいですね。ドレッシングは本当においしいですよ。サラダだけでなく、お豆腐やそうめんなどにかけてもいいし、いろんな料理に応用が効きます。
涌井 : 今は錦糸町テルミナの総菜売り場、大井町アトレ、それから「ティーヌン」の何店かで購入可能です。あと、10月から池袋の東武デパートに小さいですけど「ティーヌンコーナー」ができます。あらゆる場所でタイ料理にいろんな人に触れてもらいたいんです。本当に、こういう展開ができるのもタイ人スタッフやいろんな人の協力のおかげ。タイのためにできることのひとつだって考えています。

涌井 : 僕がタイに行って一番楽しいと思うのは、とにかく安くておいしいものがたくさん食べられることと、日本が失ってしまった活気があるってことだね。だからタイに行くと元気をもらって帰ってこられる。味澤の実家はソンクラーというタイ南部の田舎なんだけども、ここには3回ほど行きました。ネオンも何もないところですよ。高床式の家に寝て、夜になっても戸締まりなんてしないじゃないですか(笑)。自然も美しいし、本当に素晴らしい。出会う人によって今まで自分が体験しなかったことができる。こんなに素晴らしいことはないと思います。
涌井 : ほとんど仕事ばかりだね。だからゆっくりタイを観光したことがほとんどないんです。僕はチャオプラヤー川を眺めているのが好きだから、あの辺にコンドミニアムなんかを買ってのんびりと過ごす…。それが夢ですね(笑)。僕は今61歳なんですけど、あと4、5年で引退してそういう生活ができればいいなと思います。僕は、タイ料理をもっともっと普及させることがお前の仕事なんだよ、と神様から使命を授かっているような気がするので、今は一生懸命がんばってたくさんの人に喜んでもらうことが第一です。それができれば、きっと、どこかにいる神様がちゃんと時間を与えてくれてのんびりさせてくれるでしょう(笑)。
| 遠藤 誠(えんどう まこと)プロフィール - | |
|---|---|
| 1987年 | 新宿・歌舞伎町でタイ人専門の万屋を始める。 |
| 1992年 | 日本語が分からないタイ人のための生活サポート番組 「Go! Go! タイ人」を考案・運営。 |
| 1995年 | 在日タイ人のためのタイ語新聞「BANGKOK TIMES」発行。 |
| 1998年 | タイの貧しい地域へのボランティア活動「アイウン」を開始。 |
| 1999年 | 日本語・タイ語の情報誌「WaiWai THAILAND」発行。 |
| 2003年 | 東京・代々木のタイ・フード・フェスティバル公式テーマソングを考案・製作。 |
| 2003年 | タイ文化の総合イベント「Little THAILAND」の発案・企画。 |
| 2005年 | 特定非営利活動法人 日本タイ料理協会理事長に就任。 |
| 2005年 | タイに関する情報ポータルサイト「タイ王国ドットコム」の発案・企画。 |