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須田 忠(すだ ただし)プロフィール

大手商社で米関係の事業に関わっていたが、1993年の日本の米不足の際、オーストラリアの米の産地、リートンより米輸入のサポートをしたことをきっかけに「リートントレードナショナル」を設立。その後、タイからジャスミン米の輸入に乗り出す。以来、タイからのジャスミン米、もち米を中心に、オーストラリア、パキスタン、アメリカ、パラグアイなどからの米を輸入販売している。今後の社長の夢は、「タイで日本文化を取り入れたレストランやカフェなどをオープンさせること」だそうだ。

現在はすっかりおなじみになったタイ米も、ここ日本ではひと昔前まで、まったく見向きもされない存在だった。ジャスミン米を始め、世界各地からお米を輸入販売しているリートントレードナショナルの須田忠さんは、タイ米の良さにいち早く目を着け、タイ米のおいしさを広めてきた第一人者だ。そんな須田さんに、タイ米を輸入販売することになったきっかけ、苦労点などを伺った。

タイ米にだっておいしいお米はある!
そんな使命感からタイ米を扱い始めました

遠藤 :リートントレードさんはもともと最初からタイ米を扱う会社だったんですか?

須田 :いいえ。今のリートントレードナショナルという会社自体は、1993年に日本が米不足になり米を緊急輸入した時期に、オーストラリア側からリートンという米の産地から日本に米を持ち込みたいと頼まれてサポートしたことがきっかけで設立した会社なんです。

遠藤 :では、タイ米を扱うようになったきっかけというのはなんだったんですか?

須田 :もともと僕は某商社に勤めていまして、そこで米を扱う仕事をずっとしていたんですよ。ですからその関係で、タイへも20年ぐらい前から行ったり来たりしていたんですね。そんな中で、例の米の緊急輸入の時にですね、タイ米もたくさん日本に輸入されましたよね。その時に「タイ米はまずい」とか、テレビや新聞などのメディアでタイ米についていろいろなマイナスの報道がたくさんされていたじゃないですか。タイ米の中でネズミが死んでいたとか、まずい、パサパサしていて食べれたものじゃないとか。その時に何を言ってるんだと思いましてね。日本のお米だって倉庫に置いておけばネズミが寄ってきますよ。タイの米だからネズミが寄ってくるわけじゃありません。それなのに、タイのお米は粗悪だと洗脳するような報道ばかりされていましたよね。米のことを知っている人間からすれば、あの時に輸入されたタイ米はタイホワイトという加工用のお米なんです。いわゆるジャスミン米じゃなかったんです。それで、頭に来ましてね、タイのも良いお米はある、絶対に良いものがあるはずだ、いい商品を出せる業者がいるずだと思い、それがタイ米を販売しようと思った最初のきっかけですね。

遠藤 :すごいですね。つまり最初のきっかけは使命感だったんですね。

須田 : そうそう。そうですね、けっこう使命感ですね(笑)。もともとオーストラリアと取引をすることになったのもそういう部分からというのもありましたしね。それに、誰もやらないから、それなら自分がやってやろうと。

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遠藤 :実際にタイ現地で良い業者はすぐに見つかりましたか?

須田 :業者が見つかるまでにだいたい2年近くかかりましたね。

遠藤 :業者はどんな風に探したんですか? どこかからの紹介だったりしたんですか?

須田 :最初はやっぱり紹介ですね。精米器のトップメーカーであるサタケから紹介してもらいました。当時サタケのタイの駐在員の方が非常にいい方でね、車を出していただいていろんな工場を回ってくれたんですよ。それで、その中で今取引している精米工場を見つけたんです。タイのイサーン地方、コラート県のブイヤイという都市にある精米工場です。当時まだ20代の若い4人兄弟が経営しているところだったんですけどね、非常にここがお金持ちで、なんと工場の床が大理石でしたよ(笑)。それで、彼らの仕事ぶりも非常にまじめだし、米の品質もとても良かった。彼らはまだ輸出の経験はなかったですけど、ぜひうちの方でやってみないかということで、取引をすることになったんです。2年間精米所探しを手伝ってくれた方は、ここのお米を食べて「こんなにおいしいお米はタイでも食べたことがない」というくらい、おいしいお米ですよ。それでここの精米工場と取引して、第1回目の試験販売を始めたんですけど、実はこのお米を売り切るのに、2年くらいかかりました(笑)。



タイ米の存在が認知されてきたのは
やっとここ5〜6年くらいのこと

遠藤 :そうなんですか。このお米を売り切るために努力したことはどんなことですか?

須田 :いろいろ考えましたけど、やっぱりまずはレストランからだろうと。それでタイ料理をやっているレストランをいろいろ回りました。ところがね、緊急輸入の時のタイ米のイメージがあるから、ジャスミン米を売り込みに行くと、たいていどこのお店でも「タイ米はちょっと…」って言われるんですよ。タイ料理をやっているのにも関わらずにですよ。「タイ米なんて使ったらお客さんが来なくなる」って。それで、私どもは「タダでいいのでとりあえず食べてみてください。日本米と混ぜて使わなくても、100%このお米だけでも出せますよ」って、お店に勧めてました。当時、たいていのレストランはタイ米なんて使ったことがなかったし、実際輸入もされてなかったですしね。

遠藤 :そうなんですか。以前はタイ米の輸入はされていなかったんですか?

須田 :そうですね。日本政府の米輸入の中のシステムの中ではタイ米の輸入はされていたんですが、ジャスミン米としてはゼロでしたね。タイにはジャスミン米といういいお米があるのに、なぜ緊急輸入のときにこの米を輸入しなかったのか不思議です。値段もそれほど変わるわけではなかったのに。それで、私はタイにはこんなに良いお米があるんだということを広めたくて、日本が輸入する米の枠の10万トンの中にぜひ持ってこようと思った。幸いにしてこれを理解する他の商社がいなかったので、我々が輸入することができたんですよ。ところが、ジャスミン米を日本に持ってきたはいいけど、ちっともマーケットが広がらない(笑)。

自ら企家社長
自ら企家社長。

遠藤 :(笑)。そこからジャスミン米を広めるためにしたことは?

須田 :結果的にはタイフードフェスティバル(2005年よりタイフェスティバルに改称)の力が大きかったですよ。タイフードフェスティバルはもともと、ジャスミン米をどうやって売るかというところから始まったフェスティバルだったので、タイ王国大使館が、各レストランに「タイ米を使っているお店じゃないと参加できませんよ」とインフォメーションしまして。あの時は大使館の職員が総動員でたくさんのレストランを回って、タイフードフェスティバルへの参加はタイ米を使っていないといけないという説明と共に、うちを紹介してくれましてね。それで我々も大使館が回ったレストランのリストをもらって、いろいろ回ったんです。そこからタイ米を使用するレストランが増えていったという感じですね。

遠藤 :ということは各レストランがタイ米を使うようになってまだ5〜6年ということですか。

須田 :そうですね。タイフードフェスティバルは100%タイ米を使うことが条件だったので、しぶしぶタイ米に変えたお店が多かったです(笑)。タイフードフェスティバルが始まったのが2000年の時でしたからね。だから、大使館とうちはある意味運命共同体ですよね、ジャスミン米をどうやって広めるかということに関して。

遠藤 :なるほど。それが成功して今に来てるという感じですね。今ではタイ料理屋さんでは普通にタイ米が出てきますからね。レストランではなく一般家庭への浸透はどう考えています?

須田 :私どもの商品として、1kgパックというものも用意しているんです。レストランなどへ卸している5kgパックと全く同じデザインで。1sパックならスーパーにも並べやすいし、店頭に置いてあれば気軽に買いやすい量だろうと。タイフードフェスティバルの時にも1sパックはたくさん用意しましたよ。リピーターも多いですね。タイフードフェスティバルの時には「去年も買いましたよ」という声をたくさんいただきました。

タイの学生は優秀
仕事ぶりもマジメでとても助かっている

遠藤 :ちょっと話は逸れますが、リートンさんの方では、タイの学生協会と密接な関係があるみたいですね。これは何かきっかけがあったんですか?

須田 :これはですね、ある時、タイの大学の先生が日本の米の輸出入についてのシステムをレポートしたいとお見えになりましてね。私のことを紹介されてやってきたみたいなんですけど。それで、いろいろな資料を出したり、話をしたり、いろんな人を紹介したりしたんです。その時に、その先生に「タイの学生さんはみんな優秀ですよね。ぜひうちに紹介してくださいよ」という話をしましたら「いいですよ」と、あるタイ人の男子学生を紹介してくださったんです。うちは少人数でやっている小さな会社なので、即戦力が欲しい。ですが、日本人を雇っても、営業も貿易も一人前にできる人がなかなかいない。でも、タイの学生は日本へ留学してきてるわけですから英語も会話はもちろん、読み書きもスムーズにできるし、当然タイのこともわかっているので、まさに即戦力に成り得るわけですよ。一番最初に来た学生さんはそれこそ東大に留学しているだけあって、本当に優秀だった。今でも彼はボストンの大学院で学んでいます。それで、1年契約で契約してましたので、彼が去る時に後輩を紹介してもらって。以降うちの会社を去る時は後輩を紹介するということになっています。紹介でやってくる子たちだけなので、本当にいい子ばかりです。

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遠藤 :実際、彼らの業務内容はどんなことをしているんですか?

須田 :貿易関係のサポートですよね。でも、彼らは本当に優秀で、社内のコンピュータシステムなどはすべて彼らが整えてくれましたよ。本当に素晴らしい。それにうちはやった仕事の内容を見て、出す価値があるならそれに見合ったものは出したいということで、普通のアルバイトに比べたらかなり高給だと思いますよ。それで彼らも一生懸命やる気になってくれますし。

遠藤 :では、リートンさんで働きたいという学生も多いんじゃないですか? 順番待ちしていたり。

須田 :いえいえ、そんな順番待ちなんてありませんけど(笑)。でも、もしそういう人がいるなら、今後業務を拡大するようなことがあれば、その時に手伝ってもらったりすることはあるかもしれませんね。




今後はタイ米を「タイホンマリ」という
ブランド米として広めていきたい

遠藤 :実際、本格的に業務を拡大しようという考えはあったりしますか?

須田 :いえ、それが正直言ってどんどん難しい状態になってきているんです。

遠藤 :それはどういうことですか?

須田 :一番大きな問題は残留農薬の検査のことです。日本に輸入するためには120本もの検査が必要で、それにパスしないと持ってこれないんです。この検査には100万くらいの費用が掛かるんですけど、国が補助してくれていたんですよ。ところが2005年の12月16日から、検査内容がさらに増えて500本もの検査が必要になったんです。これに伴い、1件あたり200万円もの費用がかかるようになってしまった。検査のためにいろいろな準備が増えるし、輸出することが難しくなってしまう。検査は3回あって、1回目の検査にパスしたからと日本に持ってきても、3回目の検査でアウトならすべてがダメになってしまう。この検査は米だけでなく、どんな食品もそうなんですけど。

遠藤 :なるほど。それでは非常に手間もコストも掛かってしまって、輸出するのが非常に難しくなってしまいますね。

須田 :それで2005年の12月にタイ政府がジャスミン米に関するカンファレンスをバンコクとウボンラチャタニで合計3日間開いたんです。世界各国からジャーナリストや業者120名くらいが集まり、私もこれに招待していただきまして、参加したんですけどね。このカンファレンスは、ジャスミン米を「タイホンマリ」ということで、ブランド米化してもっと世界に広めていこうというタイ政府の考えのもとに開かれたものです。私もジャーナリストの一人として参加していまして、タイ国内の卸業者の方や、世界各国の方々と意見交換を交わしたんですけど、そこで私は「タイの米の品質に問題がないということは、10年近く関わってきてよく知っている。でも、これからはタイ政府の機関が自ら品質の検査をしてギャランティを取るということをやっていかないと、費用ばかりがかかってしまう。ブランド化を計るならその点も考えてもらいたい」と、強くお願いしてきました。我々は小さな会社をやっているわけですから、少量の輸入ではコストが掛かりすぎてしまう。ロットで検査しないとコストが合わない。だけど、いいものを選んで持ってきてるにしろ、どーんと大量に持ってくればいいというわけでもないですから。最低でも1000トンくらいにならないと検査の費用がかかりすぎてしまうんですよ。

遠藤 :では、何かタイ米ブームのようなものを起こさないとダメですね。

須田 :そうですね。それから、現在タイレストランにはタイ米が定着してきました。でも、やっぱりもっと多くのタイ米を輸入するにはタイレストランの数を増やすことしかないと思います。これはタイ政府も言っていますね。でも、タイレストランの数を増やすには優秀なコックさんが必要です。そのために、タイ政府がある程度協力して優秀なコックさんを日本に送り込むようなシステムが確立されるといいんですけどね。実際、そういうお願いもしていますけど、なかなか難しい問題が多くてね…。

遠藤 :なるほど。でも、タイレストランではタイ米を使っているところは多くなってきたし、一般家庭の人でもリピーターが多いじゃないですか。きっと未来は明るいと思いますよ。日本タイ料理協会とワイワイタイランドも応援します。

須田 :そうですね。タイ政府も「タイホンマリを広げる」と一生懸命になっていますし、我々も「タイホンマリ」ないしはジャスミン米をタイの本当のお米だということで認知してもらえるように、今後も努力していきたいと思います。

遠藤 :そうですね。期待しています。今日はどうもありがとうございました。